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ブログを始めたことで【トラウマを克服したい】という望みを叶えられそうです

気分を上げる

わたしは子どものころから繰り返し言われてきた、次の3つの言葉が心の傷となり、自己肯定感が低いまま50代を迎えました。

世の中で一番嫌いだ!

ほんとに変わっているね!

女のくせに出しゃばるな!

どうしようもなく自分を信じ切れずにいて本当に情けないと思うばかりでしたが、ブログを始める機会に自分を見つめなおしました。

そうすることで気持ちががらりと変わり始めたので、心の中を整理してみることにします。

トラウマのせいにしながら成長した

そもそもトラウマではない?

ひどいことを言われて傷ついたことが「トラウマ」だと思っていたけれど、「トラウマ」の本当の意味ってなんだろう?

うまく説明できないのに使っているのも気まずいので、調べてみました。

「トラウマ」とは、日本語で表すと「心的外傷」と言うそうです。

そしてその言葉の意味が、わたしにとって一番わかりやすかったのがは次の説明でした。

個人が一般の生活では経験しないような死に直面するような心理的に強い負荷となる出来事のことを指します。この出来事には、戦争や交通事故等による生命の危険、他者からの個人の尊厳の強い毀損等があります。

引用元:働く人のメンタルヘルス・ポータルサイト https://kokoro.mhlw.go.jp/glossaries/word-1660/

「強い毀損等」という言葉からすると、わたしが傷ついたと思ってきたことはどうやら「トラウマ」という言葉を使うほど大きな傷ではない気がします。

「トラウマ」と言わせてもらうにはふさわしくない感じがするので、ここからはわたしが「トラウマ」という言葉を使う場合、「心の小さな傷」という意味にします。

言われたことばどおりの大人になった

わたしは、最初にあげた3つの言葉にあやつられるかたちで成長しました。

「嫌い」と言われたくなくて自分よりも他人を優先してきた、けれど本心からではないので、その矛盾を気持ち悪がられた…と思う。

「変わっている」と言われたくなくて、自分がしたいことを封じ込めてきた、そしてそのうちに自分がしたいことがなんだかわからなくなった…

「出しゃばるな」と言われて、謙虚なふりをしてきた、だけど本心では自分はもっと優れていると思っていて、ゆがんだプライドをちらつかせていた…

他人のせいにしてばかりいた

結局、心の傷を受けた言葉のせいにしているから、悪いのは自分ではなく他人だといつも言い訳をさがすことに気持ちを砕いてきた気がします。

何かうまくいかないことがあるたびに、「誰かのせい」、「何かのせい」と、責任を自分以外に転嫁するのが習性になりました。

そして、「わたしはかわいそう」だと、いつも自分を憐れんでいました。

他人の顔色をうかがってばかりいた

言われてきた3つの言葉を気にするということは、他人の言葉に踊らされているわけで、詰まるところ他人の評価を気にしてばかりいる人間にわたしはなっていました。

他人の評価を気にする一方で、他人の行動もジャッジしてきたと思います。

他人を評価をするから、自分も評価をされていると思うようになっていました。

自分で自分を追い込んでいるだけ、という状態は明らかですね。

わたしは自己肯定感が低いらしい

自分の考え方のクセを分析しているうちに、「自己肯定感が低い」というのはわたしみたいな人のことだという気がしてきました。

自己肯定感とは?

● 自己肯定感が低い=ありのままの自分を受け入れられていないため、他人と自分を比較したり、周りからの評価を求めたりと、「無意識に自分自身を低く評価・否定している」状態

引用元:再春館製薬所WEBマガジン≪私らしく。≫

引用した上記のサイト再春館製薬所さんのWEBマガジンにある、いくつかの記事を読んでみたら、自己肯定感が低い人の特徴はわたしにかなりあてはまっています。

自分が「自分自身を低く評価・否定している」状態と知って、自分に謝りたくなりました。

でも、謝っているひまがあったら、自己肯定感を高める努力をしたらいいんじゃないかと。

そう気がついて、まずは心の傷が続いていて生きづらいと感じる原因を取り除くことから始めようと思いました。

生きづらさの原因に気がついた

他人と比較する、周りの評価を求める、(わたしは、自分はそんなことないと思っていたにもかかわらず)まさに、そんな傾向で生きてきました。

その結果、自身に対する自分の評価がどんどん低くなってきたわけです。

自己肯定感の低さに着目したことで、生きづらさの原因が見えてきました。

ようやく気が付けた、生きづらさの原因とは

わたしはあまりにも自分を「出来ない」と決めつけすぎていて、自分を尊重できなくなっていました。

自分を尊重できなくて他者を尊重するのは難しいですから、人間関係が円滑になりませんよね。

わたしの場合は自分が欠陥だけの人間だという引け目を感じながら、それでいて周囲に認められたいという思いをひそかに持ちながら50年以上生きてきました。

心のどこかで、それっていやな感じの人間だなって自分のことを思っていたんですね、きっと。

だから、本当に本当に生きづらくて、どうしようもなかったんだと今は知ることができました。

だから、まずは自分をジャッジすることを止めようと、決意しました。

明るい未来を与えてもらえたことに感謝

自分のジャッジを止めるのは、予想していたよりもうまくできたと思います。

まずは、他人をジャッジしてやろうという考え方を捨てました。

そうすると、自然に自分のこともジャッジしなくなります。

おまけに気持ちがものすごく楽になるので、ジャッジするという考えはどんどんなくなっていきました。

そうしているうちにありのままの自分でいいと、心から思えるようになりました。

もちろん、その考え方に行きつくまでは、沢山の方々からの教えをいただきました。

本だったり、ネットの記事だったり、動画だったり。

情報を発してくださる方がいて、それを受け取る方法があって、というおかげです。

自力ではここまでの気づきはできなかったと思います。

与えてもらった考え方と、苦しかったと思う時期の心境とをこのブログ内で書きつづってみることで、さらにしなやかに生きられる境地になった気がします。

もちろん、これからも悩むことが出てくるかもしれません。

でも、基本の考え方が揺るがなければ大丈夫かなという自信も生まれてきたので乗り切ることができるはずと思っています。

まだまだ、気持ちは動揺しやすいですが。

そんなときは、様々な言葉で明るい未来を与えてくださった方々の応援を感じることで、強い味方を伴っている安心感で生きていこうと思うのです。

わたしが、安心感を与える立場になれるのは、まだ先だと思うのですが、そういう気持ちでブログを続けていきたいと思うようになりました。

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